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特集記事

Vol.197 -- 2016 年 09 月号

徳川文武の「太平洋から見える日本」

徳川文武

第八十八回 村人は満州へ送られた

国策七十一年目の真実、「村人は満州へ送られた」と言うNHKの特別番組がこの八月十四日夜に放映された。この番組に登場する長野県の一貧村は、太平洋戦争終結一年前の昭和十九年に、農林省から開拓民の割当五十戸を出されたが達成できず、村長は二十七戸九十五人を、中国東北部、吉林省の「満蒙の地」に送出した。当時日本の北方戦線では、大日本帝国の満州支配と外地における食糧増産が国策だった。政府は日本の農村を母村と分村に分け、農林省は外地へ送る分村の開拓民の戸数を、地区ごとに割当て補助金を出す。そうすれば、合計の食糧生産は増える。日本の農業移民である満蒙の開拓民たちは、昭和十一年から二十年までに二十七万人を越えると言われ、大日本帝国の関東軍と拓務省は、最終的には五百万人もの農業移民を満蒙の地に送り込む計画だったと言う。開拓民は日本から関東軍の連絡船で運ばれるが、海上で撃沈されることもあった。

到着した現地で、送られた村人の四十五歳以下の男性は、大日本帝国陸軍の関東軍に兵役召集される。残った女子供と年寄りは、関東軍が中国人農家から取上げた畑で食糧増産を担当させられる。畑を没収された中国人農民は生活の糧が無いので、匪賊として日本人開拓民を襲うこともあったと言う。満蒙開拓民の女子供と年寄りたちには、外地で身を守ってくれるものは何も無く、大日本帝国が敗戦するとき「大人たちは子供を先に殺して自決の道を選んだ」と九死に一生で帰国した男性が言う。満蒙の地で日ソ不可侵条約を侵して侵入したソ連軍は、逃げ場も無い「満蒙開拓民」に略奪の限りを尽くした。満蒙開拓民を送出した拓務省は終戦時には解散し、現地に取り残された日本人開拓民の情報は持っていないと言う。政府や軍部の国民の扱いは、あまりにも非人道的ではないか。戦後になってからも、原爆被爆者や重度公害病の認定では、政府は命令をしても、取るべき責任は果たさない。

この番組で、終戦後に集まった元満蒙開拓民募集管理者の肉声の録音を聞いて、私は自分の耳を疑った。彼らは「戦時の国民は等しく戦争に協力する義務があるわけで、(開拓民を募って満蒙に送ったことは)悪いことではない」と反省もしない。ひとたび為政者になると態度を変え、帝国議会がありながら、天皇の大権を使い回す軍部の大臣が、先の大戦で「大日本帝国」を破壊した。民主主義の投票でも当選すれば政権公約を忘れ、東日本大震災で事故を起こした地域原発が「為政者の都合」で「勝手に安全」と診断され、現在ではその核廃棄物処理費用が算定できないほど巨大なのに、費用ゼロで評価されている。四十年も前に建設された原発が、何も補修なしで、六十年運転できるのか。

日本の海外への移民は江戸時代終りにあり、ハワイ王国に頼まれてサトウキビを収穫する季節労働者として送られた。横浜にあるJICA博物館では日本の海外移民についての資料が多く保存されている。日本の太平洋戦争以前も以後も、国の経済状態が良くない時代には、政府が移民船をしたてて外地に日本人移民を送出した。広島や山口には家族を養えない農家も多く、海外移民と言う機会に身を託すしかない人々が多くいた。その典型的な例は、米国やブラジルへ送られた農業移民だろう。米国のカリフォルニア州へ送られた農業移民は、日米関係が政治的に良くないときには、さまざまな差別扱いをされ苦労をした。特に大日本帝国が米国ハワイの真珠湾を太平洋戦争で奇襲したときには、米国市民である日系人は政敵とみなされ、財産を没収され強制収容所に送られた。それでも日系人たちは、全員が一九四二年に強制収容所に監禁されたわけでもなく、居住していた州によっては、日系人でも政敵扱いされなかった。また政敵と見做されてから、兵役に志願して難を逃れ無事に帰還した日系人たちは、ヨーロッパ戦線に参加した第四四二歩兵部隊の兵士たちだ。太平洋戦争が終り収容所から解放されて戻ってみると、所有していた農地や果樹園は他人の所有になっていたと言う話はしばしば聞いた。

それでも日系人被害者たちは全員、米国大統領から謝罪と見舞金一人二万ドルを受取った。「憎いから取れるだけ慰謝料を取る」、「日本人は絶対に許さずなぶり殺す」と言う主張もあるだろう。映画化された「大地の子」で「中国人女性が日本人孤児を育てた」南満州鉄道(満鉄)の建物はいまでも大連市街にある。日本が当時最新技術で作った流線型蒸気機関車が牽引する、満州の荒野を走る超特急「アジア号」の「ブルートレイン」、じゅうたんが敷かれた展望車中で、国務院高官、満州国総務庁次長、商工大臣、不起訴戦犯、岸信介は葉巻に火をつけながら、何を感じていたのだろう。

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